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『ふつう』ってなんだろう?

 

私たちがいつも心とらわれてしまう言葉

『平均』『ふつう』

 

 

 

からだのことも心のことも

 

つい『平均』や『ふつう』を知りたくなる

 

 

 

なぜ知りたいかというと

 

自分がその普通や平均と比べてどうなのかをジャッジしたいからですよね

 

 

 

でも、そうやって普通や平均を追うほどに

 

苦しくなり

 

悩む

 

それが私たちの今ある姿でもあります

 

 

 

 

例えば血圧

 

血圧は体が上げたいから上がります

 

 

血圧が上がっているときに

 

その血圧が悪いんじゃない

 

ほとんどの場合

血圧を上げないと体を維持できない何か他に要因が起きたからこそ血圧が上がっているのです

 

血圧だけ薬で下げても本当に意味があるのだろうか

 

上げるべくして上げていたものを無理に下げたら

 

不調和は生まれないのだろうか

 

 

 

 

血液検査でコレステロール値が!という時にも

 

その上がっているコレステロール値が悪いんじゃない

 

はっきり言いましょう

あなたの生活習慣が悪いんだ。笑

 

だから薬やサプリで無理やりコレステロールだけを下げようと努力するのはナンセンスです

 

 

 

 

食事だけじゃない

運動も

ストレスも

生き方も

 

その全てを

 

その体調として

その数値として

 

あなた自身を表現しています

 

 

 

 

誰かと比べてどうとかはどうでもいい

 

誰でもない 

自分に何が起きているのだろう

なぜそうなっているのだろう

体調は前と比べてどうだろう

生活は前と比べてどうだろう

 

 

その答えは

 

自分の中にしかないのです

 

 

 

 

体はその着目している一部分だけではできていない

 

全体の総和であり

 

その現象が今見えている数値なんです

 

 

 

 

それを他人と比較して

 

ホッとしたり

 

焦ったり

 

 

 

 

精神的なところを含め世間的に思う弱さを

 

個性や趣向さえ世間的に思う弱さを

 

それを似た人を集めて

 

〇〇症候群

 

 

 

それってさ・・・

 

 

 

一体何を見せられているのでしょうか?笑

 

 

生きにくさは

 

他人や社会が作るものではない

 

 

自分が作るものです

 

 

 

 

障害者の方がみんな生きにくそうにしていますか?

 

五体満足でない方たちが不満ばかりで社会と離された人ばかりですか?

 

 

 

何がなかろうと

 

幸せそうなその笑顔が素敵です

 

時に誰かの生きる力になります

 

 

 

五体満足だからこそ

 

探してしまう自分の悪いところ

 

人と比べてしまう自分の足りないところ

 

 

 

とっても素敵な自分を

 

自分で下げてしまうのは

 

勝手に諦めてしまうのは

 

勿体無いです

 

 

 

 

 

西洋医学で求めるところは

 

社会が求めるのは

 

みんなの真ん中

 

みんなの平均です

 

 

 

もちろん時にはその考え方や捉え方も大事です。

 

でも、その使用頻度の理想は頓服、緊急時です。

 

 

 

 

東洋医学の使い道は

 

常備薬として、日常使いです

 

 

 

東洋医学は

 

自分の真ん中を知ることであり

 

自分の真ん中からのズレ、つまり不調和を捉えて治療する

 

 

 

さらに東洋哲学的には

 

自分のニュートラルを知って生きること

 

 

 

その中に人間の幸せを探し続け

 

その中に人間のなぜ?の答えを見出して行くのです。

 

 

 

 

 

どちらも知っていて

 

どちらも使えるからこそ

 

そんなことを日々感じることが多いです。

 

 

 

『ふつう』

 

自分の中に浮かんできた時には

 

誰かと比べて苦しい時には

 

 

 

生きる主体が

 

大切な自分から

 

見知らぬ大勢の他人になっています

 

 

 

置いてきぼりの自分に気づいてあげましょうね

 

 

 

自分の幸せは自分の中にしかないし

 

他人の幸せはその人の中にしかない

 

他の誰にもその価値観も

その人にとっての『普通』も

 

推し量ることはできないのです